2007年01月06日

武士の一分

6点

紹介文ではなく、感想です。
以下、ネタバレありまくりです。




物語が平板です。最後まで意外性がありません。
しかし、よく考えてみると「武士の一分」というタイトルに、僕が考えていた以上の重みがあったような気がしてきました。

主人公、新乃丞は文武両道に秀でた優秀な武士。
しかし毒見役という武術も教養もまったく活かせない役目についており、その点に鬱屈を感じています。
さらに、藩主の身代わりとなり貝の毒に中り失明。
未だ体力が快復しきっていない中、無理をして藩主に声を掛けていただく為に登城します。
しかし真夏(晩夏?)に藪のそばに平伏したまま長時間待たされ、やっと通りがかった藩主からは「大儀」の一言だけ。
新乃丞と引率者の二人は藪から出てくる蚊に食われながらも座したまま長時間待たされ、たったの一言「大儀」だけです。呼ばれたから来たというのに。あなたの為に失明したというのに。
そこに江戸時代という封建社会の中の下級武士が表されていると思いました。
どんなに努力をしても報われない。
どんなに尽しても振り返られない。
藩主が一言だけ漏らして立ち去ってしまったあとの新乃丞の複雑な表情に、僕も複雑な思いを抱きました。
しかし新乃丞が我慢できたのは、それを受け入れるのが武士だと思っていたからではないでしょうか。
自分は誇りある、ひとかどの武士である。
決して、藩を恨んではならぬ。
そういう気持ちがあったと思います。
しかし、武士であるという誇りが封建社会の不条理への『怒り』を抑えてきたというのに、その武士の妻を盗んだ男がいたのです。
それを見逃して、自分は武士だと言えるのか?。
武士であることを諦めて、今まで堪えてきた不条理への『怒り』と、今ここで知った恥辱と嫉妬への『怒り』を、どんなもので抑えればいいというのか?。

新乃丞にとって暗闇の未来を生きて行く為に、光を奪った過去を許す為に、何よりも必要だったのは「自分が武士であること」、つまりは「武士の一分」だった。
それを島田は奪った。
「武士の一分」を取り戻すことなしには、生きることも死ぬことも侭ならなかった。
そう考えるとあの果し合いが、壮絶な色を帯びてきます。
身を引き裂かれる思いで愛妻を離縁した気持ちも伝わってきます。
ただ、鑑賞中はそこまで感じ取ることが出来ないんですよね。
それは脚本の問題なんではないでしょうか。
夫婦愛に焦点を合わせ過ぎてしまって、未来を奪われた男の最後の誇りには焦点が合っていなかったのではないでしょうか。
僕は「誇り」に焦点を合わせたこの映画を見てみたかったです。
posted by すっしー at 15:22| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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