2005年09月19日

メゾン・ド・ヒミコ(ネタバレあり) 8点

himiko.jpg
注意・致命的にネタバレです。
この作品は初見では今ひとつ意味がつかめない部分があると思います。
まずはそれに対する僕の考察から始めようと思います。

ゲイである春彦がなぜ急に沙織に接近して行ったかについて。

春彦は生まれつき美しく、そのケがない男を二、三人その道に引きずり込んだと話すほど男には不自由していなかったはずです。しかし沙織に「俺はずっと一人だった」と語ります。
春彦はヒミコに「メゾン・ド・ヒミコ」管理人の後継者に選ばれるように、ゲイの中でも特別な人間なのでしょう。そんな春彦をやっと孤独から解放してくれたヒミコは、死病に倒れています。
間を置かずヒミコが自分を置いてこの世を去ってしまう事に、春彦は絶望しています。
そんな春彦があるときから急に沙織に接近していきます。
元同僚から「やっぱりオカマだったんだな!」と罵倒された山崎をかばい、怒り狂う沙織に今までとは違う視線を投げかけ始めるのです。
それは沙織が「メゾン・ド・ヒミコ」を訪れたころの沙織とは違っている事を感じ、そしてもしかすると、沙織の中にヒミコとの共通点を感じたからなのかもしれません。
特別な存在だったヒミコ。その娘の沙織。
共に時を過ごす中で沙織に好意を持ち始めていた春彦は、沙織のことを愛する事が出来れば、また一人に戻らなくて済むと思ったのかもしれません。そして、女を愛する『普通の』男になれるかもしれないとも。
春彦の接近を戸惑いながらも沙織は拒みません。
その事実で沙織は、自分が春彦に惹かれている事に気付いたでしょう。
また沙織も、身寄りも無く借金に苦しむ孤独な生活を分かち合う誰かが欲しかったのでしょう。

部屋を貸してくれという春彦に、山崎は意図を理解しながらもこころよく申し出を受けます。
春彦の普通の男になれるかも知れないという挑戦は、山崎が過去に通ってきたものでもあるから、すぐに無償の協力で答えたのでしょう。
ベッドに横たわる二人。抱き合いながら沙織は、そっと履いていたサンダルを足だけで脱ぎます。
それは完全に春彦を受け入れた事を意味します。
しかし春彦の右手は、完璧に場慣れした動きで沙織のボタンを外した後、シャツの中に入ったまま動かない。
沙織の「…触りたいとこ、無いんでしょ」という一言は、春彦の挑戦の終わりを告げていました。

沙織の視点に目を移します。
沙織はその後、細川専務を誘惑して寝ます。
それは春彦のことを愛し始めながらも、春彦と男女の関係になれないという理由で挫折したからなのではないでしょうか。
愛情を感じていても、性衝動をお互いに覚えられる相手でなければ、『普通の』愛にはなれない。
じゃあ、セックスとはなんなのか。それで何かを得て、数時間前に穿かれた心の穴を塞ぐことが出来るのか。
事が終わって沙織が泣いた理由は、セックスだけでは心の穴に何も入ってはこなかったことや、春彦との間に得られなかったものが、相手が違うだけでこんなにくだらなく手に入ってしまうことに、どうしようもなく悲しくなったのではないでしょうか。

ヒミコが沙織の母と試みたように、ルビーも昔、家庭を持っていました。
ルビーは自分がゲイだと知らせていない息子に会えず、会ったことも無い孫娘へのハガキを送ることなく書き続けています。
ルビーが脳卒中で倒れ意思も表せない体になり、息子夫婦に引き取ってもらうときに、「メゾン・ド・ヒミコ」の面々は自分たちもルビーもゲイであることを隠したまま引き渡します。
それを知った沙織が怒ります。なぜそんな騙すようなことをするんだと。性転換手術を受けているルビーを介護していて、ルビーがゲイと気付かない訳がないのですから。
住人たちは説明します。これは賭けなんだ。もしかすると、気付かないかもしれない。
本当のことを話して、ゲイだと理解してから迎えに来てもらう頃にはルビーは死んでしまっているだろうからと。
それはそれで一理はあるが、その裏に隠されている自己弁護の匂いに沙織は耐えられなくなります。
だから、「あんたたちは投げ出したいだけでしょ」というような言葉を投げかけます。
それは沙織が「メゾン・ド・ヒミコ」に対して持っていた反感が噴出したシーンでもあると思います。
春彦に、ここはゲイが幸せになるための場所だ。関係ないお前は出て行けと言われ、沙織が叫びます。「こんなの、ウソじゃん。インチキじゃん!!」。
実際、「メゾン・ド・ヒミコ」にいることで彼らの問題のほとんどは解決していません。
同じ孤独に震え、世間からの差別に耐える仲間と一緒に居るというだけの事です。
本当に欲しかったものは手に入らず、沙織のように傷つけることになった人間からも眼をそらしている。

「メゾン・ド・ヒミコ」と疎遠になったまま時が経ち、ヒミコは死んでしまいます。
沙織がヒミコの荷物を受け取ったあとに「メゾン・ド・ヒミコ」を去る場面で、春彦は細川と飲みに行った話をします。
二枚目である細川と寝てみたいと、春彦は前から言っていました。
「聞いたよ。お前、細川さんと寝たんだってな」との春彦の一言に、沙織はむくれます。まー、そりゃそうでしょう。そんなこと話されたら。
しかし、次の春彦の一言を聞いて、沙織は涙が止まらなくなりました。
「羨ましかったよ。お前じゃなくて、細川さんがさ」
その一言で、春彦も沙織と同じように、二人がほぼ愛し合っているのに壁を越えられなかった事を自覚していると解ったからなのでしょう。

「メゾン・ド・ヒミコ」を離れ、自分の孤独を埋められるわけも無い細川を適当にあしらいながら、また一人の生活に沙織は戻ります。寂しくても、あの場所をインチキだとぶちまけた沙織が「メゾン・ド・ヒミコ」に顔を出すわけにはいきません。
実は沙織は、ここまでは意図することなく母の跡を追っています。ゲイの男に惚れ、相手も自分の事を人間として愛している。しかし、二人は抱き合う事が出来ない。
それでも沙織の母はヒミコに会い続けました。
でも沙織と春彦は、沙織と「メゾン・ド・ヒミコ」はこれで終わりなのでしょうか。

人が生きていく上で壁にぶち当たる事があります。大なり小なり色々なものがありますが、本来、みんなが当たり前に持っているものを持って生まれられなかった事によって苦しむ人もいます。
自分の心と体が一致しないという壁、そしてそんな自分を社会が受け入れないという壁。
それを乗り越えようとして、ヒミコやルビーは家庭を持ち、失敗し、山崎や他のみんなも、壁を乗り越えようとして苦しんで、だけどどうしてもダメで「メゾン・ド・ヒミコ」に流れ着いて来た。
その場所を「幸せになるための場所」と呼ぶ事は欺瞞なんでしょう。
だけど彼らの苦しみを理解した上で、それをただ欺瞞と片付けてよいのでしょうか。
絶望的な世の中で、唯一つ許された場所を、幸せになるための場所と呼ぶ事を。

離れてみて、今なら、沙織は「メゾン・ド・ヒミコ」と父親ヒミコを許せるんじゃないでしょうか。
沙織の母がヒミコと「バー・ヒミコ」を許したように。

物語の最後に、もう一度自分を呼んでくれたみんなともう一度「メゾン・ド・ヒミコ」の門をくぐったのは、沙織がそれらを許せたからだと思っています。





さらにこれは文面に入れるところが見つけられなかったので蛇足ですが、ヒミコの最後のセリフについて。

沙織がヒミコに「ママを苦しめたこと後悔した事がある?。あたしのことが恋しかった事がある?。会えないのが寂しくて泣いたことがある?」と聞きます。三つの質問中、後の二つは、あなたが恋しかった、会えないのが寂しくて泣いたと言っているようなものですね。
それに対して死病で弱りきったヒミコの返答は、「そこまで言うのならこれだけは言わせて。…でも、あなたが好きよ」。
一見会話が成り立っていません。質問に対してあなたが好きと主張しているんですから。
でもこれは、もともと主張と主張のぶつかり合いなんでしょう。
ヒミコは自分が許されるなんて思ったことが無かったんでしょう。
会いに来てくれる沙織の母に対しても、ましてや娘・沙織に対しても。
だから自分から沙織に近づくような事は一切しなかった。近づく権利なんてあるわけがないから。
むしろ、沙織を自分の娘のように扱う事や、自分の長年の後悔や苦しみを伝えることなどは、罪人が自分の罪を自覚せずにいることだと思っていたんじゃないでしょうか。
自分が苦しめた相手に対して、私も苦しかったのよなんて言えなかったのです。
だから我慢に我慢を重ねて、質問という形の非難を浴びて、そこまで言うならば、ただの一言だけは言わせてくれ、と。
そしてたった一言何かを伝えられるとすれば、それが「でも、あなたが好き」だったのでしょう。
「でも」の前には咎人である自分、沙織の非難はもっともだと思うことなど、万感が込められていますね。

劇場で見たときには「?」って感じのシーンでしたが、こうやってよく考えると泣けます。
posted by すっしー at 21:49| 東京 🌁| Comment(6) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。takaです。
ブログ読ませてもらいました。細かいセリフまで覚えててここまで書けるなんて凄いですね。
私は映画館の雰囲気が好きなので、映像とか音響の方に意識があり、ストーリーやあるシーンの意図などあまり考えてなかったんですが、そういえば映画好きなみなさんと話してるうちに最近は少しづつ考えて観るようになりましたね。
また、ラースくんの感想楽しみにしてますのでぜひブログ続けてください。
Posted by taka at 2005年09月20日 01:06
>takaさん

いや、すいません。
コメントに返事した気になってたらまだしてなかった(汗)。
こんなクソ長い感想に付き合ってくれてありがとうございます。
逆に僕は、映像関係に疎い気がします。
他の方が指摘した、あの映像にはあんな意味があるって意見になるほどねぇと感心する事が結構ありますから。

このブログについてですが、出来るだけ続けていくように使用と思います。
冬までは頑張ろうと思う、みたいな。
良かったらまた来てくださいね。
Posted by すっしー at 2005年09月22日 04:43
はじめまして。はなちんと申します。
mixiの方で、感想を読ませてもらって、こちらにやってきました。

この映画を見終わって「いい映画だな」と思いながら、なんかモヤモヤしていたものがあったのですが、ここの文章を読んでスッキリしました。

しかし、すごく細かいところまで見てますね。
私はもう2,3回見ても、ここまで気がつかなかったかも。
Posted by はなちん at 2005年09月23日 18:40
こんにちは、はなちんさん。
コメント有り難う御座います。かなり嬉しいコメントでした。
他の方にも「セリフを良く覚えている」と言っていただいたんですが、この映画に関してはパンフレットにかなり詳細にストーリーが書いてあるんです。もう、未見の人は絶対に読むなというくらいに。
レビュー中、セリフについて自信を持って抜粋しているところはほとんどそこから採用しています。
『というような言葉』みたいな表現の部分は自信のなさがありありですね(笑)。

拙くて文章の長いブログですが、良かったらまた覗いてみて下さい。
Posted by すっしー at 2005年09月23日 20:31
すっしーさん、こんばんは。
私のブログにコメントありがとうございます。
勝手にトラバ失礼いたしました。そして、トラバありがとうございました。
映画評を、自分の感覚と感情を主に書いてしまう私にとって、すっしーさんの評はまさに目からうろこがぼろっぼろと…
映画を見てうまく言葉でにできず、もやってたところをキレイな言葉にされていて、「そうそう」とブンブン頷いておりました。
これからも拝見させてください〜。
Posted by ハイジ at 2005年10月13日 02:21
いえいえこちらこそ。
先ほどハイジさんのブログをまた見させてもらいましたけど、面白いこと書きますね。
『「韓国映画において恋愛映画は大映ドラマである」という持論』とか、いいですね。
参考にさせていただきます。
「この胸いっぱいの愛を」を近日中に見る予定なので、もしもハイジさんが書かれている通りだったら、劇場で立ち上がって「タイタニックかよ!」とツッコミを入れて見たいと思います。誰か「三村かよ!」と俺にツッコんでくれる事を願いながら。
いや、ほんとはムリですけど(笑)。
Posted by すっしー at 2005年10月14日 02:13
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